読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「ブンミおじさんの森」について

美とは、人間の錯覚であり、また、一種のイリュージョンである。芸術と美の混同はこの点に於いて起こるのだが、互いに退っ引きならぬギリギリに至ってようやく作用する。但し、芸術は人生を生き抜く為の武器であり、美は死臭充満するところにしか現れぬ卑屈…

分かる映画

音楽は本能のもので、文学は理性のものであるというのがおれの持論である。そのふたつ以外にも芸術はあるわけだが、生憎おれは絵や演劇や詩などがあまり分からないから、銘々の位置も知れない。いつか分かるようになれば重畳であるというような頼りない心持…

銭ゲバ大家、無情に非ず

アアラ、酷いねえ。アンタ、こりゃ酷いよ。まったく参っちゃうわよねえ、ここまでされちゃうと、サスガにねえ。たしかに入居するときに「好きに生活して構わないからね」と言ったのはワタシだけどねえ、限度ってもんがあるでしょう。ほら、壁もなんなのアレ…

【短評】都市の駅

都市の駅はすり抜けるものだ。電車の乗降や、排泄や、仕事や、食事や、買い物をするところではない。ゴムの脳みそにウロウロ動かされている馬鹿や、鉛の如き体を引き摺る女や、油切れのブリキの老人や、往来の中心で立ち止まって手を振り振りサヨナラをする…

強烈なるフライングV

水曜の昼下がり、おれは尋常の通り出勤をした。おれ自身は尋常の通りであったのだが、ひとつ尋常でないことがあった。二階の事務所内を、一匹のトンボがパトカーの如き激しさで危険を訴えながら、白バイの如き鋭さでアチコチ飛び回っていたのだ。コンピュー…

イエロウ

鬼という鬼が例外なく黄色になり、恰好がつかなくなってしまった。鬼は人々の笑いものになった。あれほど我々に怯懦していた弱虫どもが、我々のカラダの色が変わったからといって、なぜあれほどに威張れるのであろう。鬼たちは一様に、自らを鏡でとり囲み、…

熊のコダワリ

こうじゃあ、いけないよなあ。おれが尋常の通り山道を歩く。人とバッタリと出くわす。あまりに唐突なことで半狂乱。食らう。こうじゃあ、いかん。どうしてかは分からんけど、ちょっと具合がわるいよなあ。おれがサッサと山道を歩く。人とバッタリ出くわす。…

狂人演説

人間は考える葦であるという。葦であるわけはいまひとつ思いつかないが、人間は考える葦であるという言葉には、そういうならそうなのであろうと納得してしまうような迫力がある。あまりジタバタしない方がいいぞと、アイスピックと包丁と果物ナイフを一斉に…

啞のフリする娘っ子

虎を見せろ。虎を見せろよ。赭顔酩酊の如く、太陽のような禿頭の老体が、そういって柳眉をデタラメに曲げた娘に肉薄している。虎を見せろってば。いい加減虎を見せてくれてもいい頃合いだろう。赭顔窒息の如き老人、そういう。娘はもはや柳眉とすらも言い難…

チャイニーズ・アクション・ファン

今年の夏は凡百の事件が起こっていて、油断がならぬ。先ず、外国の人が皆んな、せーのでくたばった。混血児は、まだ見てないから、状態は分からぬが、おそらくハーフなら半分死に、クォーターなら四分の一死んだのだろう。なぜ、日本人以外が息絶えたのか、…

東京ラッシュで三途の水音

暗然たる夜を驀進す、人数甚しき南武線。満員の熱気で窓が曇り、外を見ることもままならず、いよいよ密室の様相である。大勢の汗の匂いと混ざった、胸のわるくなる酸っぱい酒気が重く漂っている。車内を見遣ると、目に涙を溜めて、嘔吐しそうになっている人…

托鉢僧に就て

ある休日、徒然に身を任せ、立川まで出た。 しかし、我失望せり。駅前に傲然と構える托鉢僧の姿の腹立たしさよ。まだ大した報いも受けず、当り前の顔でチリンチリンしてやがる。どうやらあの許しがたい乞食崩れを、まだ誰も殺さぬというのだ。ああ、なんて優…

よく寝る

おれはよく眠る。勤めがある日もそうであるが、予定がない日であれば、殊更酷いもので、ほとんど際限はなく、ほとほと嫌気が差してしまうまで眠る。食慾や性慾はとうに見限っているから、あまり構ってやらぬが、どうも睡眠の慾というものに対しては、そこま…