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チャイニーズ・アクション・ファン

 

今年の夏は凡百の事件が起こっていて、油断がならぬ。
先ず、外国の人が皆んな、せーのでくたばった。混血児は、まだ見てないから、状態は分からぬが、おそらくハーフなら半分死に、クォーターなら四分の一死んだのだろう。なぜ、日本人以外が息絶えたのか、わけは知らぬ。どうやら、道理など介さなくとも、あらゆる物事が起こり得る世界になったようである。旧態依然と、理屈に頼っていては、やってられぬ世界になったようなのだ。同じ頃に海の色が無くなったのも、畢竟そういうことなのだろう。色がないとは言い条、透明というわけでもない。ただ、色がないのだ。海水に問題があるのか、お天道様に問題があるのか、我々日本人の眼球に問題があるのか、それすらも見当がつかぬ。無論いくら沈思黙考、熟慮や考慮を重ねども、はなから道理が無視されている可能性が多分にあるのだから、考えることは徒労なのやも分からん。しかし、魚はまだ美味い。サメも、エイも、エビも、フグも元気横溢せんばかり。それだけで十分である。それだけで、十分である。
外野の愛護の声が失せたからか、イルカの価値は甚だしく下落し、子供が道端で売っている始末である。大方そういうイルカは管理がなっておらぬ故、交渉の折から気息奄々であり、況や、持ち帰る道中で事切れる。近いうちにイルカ管理法という、イルカを管理することを目的とした法律が施行されるらしい。諸国の目がなくなってから、政府はまったくメチャメチャであり、知的障害者の中でもとりわけアタマのおかしい連中に銃を支給しはじめたり、ありったけの電力を用いて、夜を夜でなくしたり、ちょっと前にも二日間だけ膝禁止法という、膝を使用したら罰せられるという無体な法律が定められ、酷く難儀したものである。それだから、新しく制定された法律の中では、イルカ管理法は大いに人道的でマトモな法律であり、ようやくお偉方のアタマが冷えたのかとひと安心している。銃を所持した知的障害者は、皆一様に自殺を図った。やはり銃は素晴らしい武器であり、これまでのすべての自殺が成功している。
ちゃんと管理されたイルカは闇屋だけでなく、百貨店などでも、安く手に入る。金の価値も著しく下がったのだ。だから、闇屋はほとんど機能しておらず、もうあまり姿を見ない。仄聞するところに依ると、持ち主が死んで、放ったらかしにされている銃を拾って、自害しているそうだ。別に死ぬこともないだろうに。
おれも時流に乗って、イルカを飼いはじめた。イルカはなんでもキュイキュイで、魚を遣ってもキュイキュイだし、水を取り替えて遣ってもキュイキュイである。こういうと随分と可愛らしく思えるが、ちょうど腹の立つ音程でキュイキュイと鳴きやがるから、あまりいいものではない。ある朝目覚めて、ささやかないやがらせとして、わけもなく昏睡しているイルカを起こしてやろうと、カナヅチを振り上げ、思いきりイルカのアタマに打ちつけたところ、まったく起きる気配が見えぬので、訝しく思っていたら、そのうちイルカの息がないのに気づいた。エイズだったらしい。おれは医者だから、そういうのはすぐ分かる。
もうひとつの大きな変化としては、音速がぶっちぎりで一等になったということがある。光速なんぞなんのその、雷鳴がいちはやく轟き、肝腎のイナズマは後から必死に追いかけている。無論、花火に於いても同じことである。

寸毫の前触れもなく、空が割れるような轟音が鳴り響くのは、やっぱり驚くもので、はじめのころはワッとビックリしていたが、海の色が無くなってから、矢継ぎ早に雷が落ちるようになったため、もう皆んな慣れっこである。音のないイナズマはひょろひょろで、恐るに足るものではなく、中天を走るイナズマに向けてパチパチと拍手するやつなども現れはじめ、いまでは赤子ですら舐め腐った顔で指笛を吹いている。思うに、以前の我々はイナズマの後の轟音に恐怖していたのだろう。顔の潰れた人生の女優が、イナズマを見る度に上げていた悲鳴も、轟音の予感に向けられていたのであって、はなからギザギザの光などは軽視していたのである。雷鳴を克服した我々にとって、いまや雷は脅威ではなくなってしまったのだ。
殺人はまだあるようだが、日本人が孤立して以来、通り魔のウワサはとんと聞かなくなった。なんか、もう、どうでもよくなったのだろう。
マイケル・ジャクソンがとうに鬼籍に入っているからか、外人が死んで悲しむ者はあまりいなかった。日本人にとって、マイケル・ジャクソンは外人という役割をすべて担っていたから、当然のように思う。しかしおれは、ジャッキー・チェンが死んだことが非常に悲しい。この頃は、日産が勝手に売りはじめたプロジェクトAを購って、寝食を惜しみ、そればかりを繰り返し観ている。