Talking Heads

おれを四囲しているスズメバチの如く善悪を弁えぬ連中がわざわざ自ら社会的なる地獄に身を置いて、手に負えぬ怪力の鬼たちとの悪戦苦闘で困憊している様は、根源のハッキリせぬ患部を掻痒しながらカユいまだカユいと喚いている風だ。斯くも無惨な狂態を示して憚らぬ薄馬鹿共の横でおれがあまりに不条理な拷問を指して爆笑していると、想像力を担保に無味乾燥な配給を甘受している彼らは、痛みを堪えながら不謹慎を訴える。そんな無茶ができるなら、笑うことなど容易いだろうに。右脳をそっくり銀行に預けてしまっているからか、彼らはあらゆる物事にはひとつの顔しかありえないと考えているらしいのだ。ケルベロスに会ったら発狂するんじゃあるまいか。

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この世界では、性愛以外に救いはないという。彼らは堪えるのだ。交合と交合の空隙を。次の拷問を忍ぶ為に。怠惰で優しい肯定的な沈黙としての性、分かりやすい共犯関係としての性、ウソつきたちの必死の佯狂としての性、廉価版の愛としての性。全部同じだ。おそらく彼らにとっては快楽などは二の次で、それぞれ互いの尻尾を握り、我を孤独から救いたまえと祈ることこそが性愛なのだ。正しくないのは承知の上で、しかし他に手段はむずかしく、ウダウダと体位ばかりを試行錯誤しつづける。
祈りは祈りだ。堪ええぬ苦痛をなんとか堪えようと思うがこその絶叫だ。是非もくそもありやしない。アーメンが吐息に変わっただけだ。しかし彼らはただただ絶叫を繰り返し喉を涸らして、嗄れた声のせいで会話さえもままならない。実際に神がいるか否かはひとまず置いておいて、ともかく性愛の世界に神などいない。いるわけがない。彼らの絶叫は伝わらず、互いのからだにぶつかって消える。

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我々は衰える。耐えがたいスピードで。自我が徐々に薄れてゆき、やがて身だしなみを整える。それを成長と呼び給うな。それを善良と呼び給うな。見たいように見ることと、目を潰すことは同一じゃない。いずれ水際に行き着いてしまっても選択肢なんぞいくらでもある。

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「世界の終わりのあと、僕は電話ボックスにいる」。いくら電話をかけても、ほとんど応答はない。当たり前だ、世界の終わりのあとなのだから。みんな地獄で頑張っているのだ。しかし、ごくたまに電話が通じることがある。世界の終わりのあとなのに! 彼や彼女は、斯様な不毛の曠野にあっても自恃を失わず、見えぬ光に包まれている。魚の気分で生きながらえているのだ。
おれは多分、愛を知っている。自分の為だけじゃなく、彼や彼女の為に祈るときがある。きっと、おれも彼も彼女も、他の連中と同様に悟道に堕ちるだろう。しかし、われらはどこにあろうと見えぬ光の中にいる。圧倒的な暗闇を、月のない夜をおそれるな。すくんだそばから奪われる。これは決して果たされぬ約束だ。
われらはかならずすくわれる。不安や倦怠を握ったままで。

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