大事件

このくそ暑い昼下がりに、河川敷の脇の鬱然たる草むらを、ハエ・蚊・蜂・バッタなど、おれにとっては益体もない性根の腐った虫共に襲われ又殺しながらも、止むに止まれず進んで行かねばならぬ苦労を誰が分かってくれようか。
「見つからないですねえ。どこにあるんだろ。」
この時期だとまだ見ぬがトンボもきらいだ。細すぎる。
「面倒なことしたなあ、まったく。」
カマキリも交尾の首尾が破壊的すぎるから、あまり関わりたくない。なにも好んでかかる草むらで鬱々と蟠っているわけではない。
「左手首なんて、すぐ見つかりそうなもんだけどなあ。」
斯様な高気温・高湿度のマザファカ曜日に、自ら手入れのされていない草むらに進入していくようなやつは、気違いとガキと昆虫学者くらいなもので、いずれにせよ、三者に大した変わりはない。おれはバカじゃないから、こうした無益な疲労を是としない。自らここへ来たわけじゃないのだ。
「どうです、刑事さん。前にもこんなことあったりしましたか。」「うるさい。今はまだ導入部なのだ。後で紹介するから、なるべく大人しくしていろ。しかし、おれもこんなのは初めてだよ。」
本日の未明、鬼殺県暴力市髑髏ヶ丘にある三途川の河川敷で、女性の骸が発見された。この死体がちゃんとしていれば、こうしておれが大変な思いをすることもありえなかったのだ。女性の遺体は無惨にもバラバラにされていて、手首や肘や肩、首、腰や膝や足首と、主要な関節毎に切り分けられていた。断面の肉は変色し不器用に潰れていて、おそらくトンカチのようなもので執拗に叩き、骨が砕け筋やら健が切れ、肉だけのペラペラになったところを無理くり引き千切ったのだろう。メチャクチャだ。犯人は頭がおかしい。通常バラバラ死体というと、切断した各部位をバレぬよう分散させて投棄し、我々警察に面倒な仕事を寄越すものだが、今回の犯人はそんなことはどうでもよかったようで、バラバラになった死体の各部が、左の手首以外すべて同じ場所に雑然と転がっていたのだ。この左手首の居場所を探して、なんの罪もないおれが草むらを彷徨い、汗水を垂らしているというわけである。許せぬ。犯人に如何なる深慮があろうとも、どうせそれは常人には到底分かり得ぬ深慮であって、まず犯人は正気でないと断言しよう。しかし、死体がバラバラなだけで、散らばっていなかったおかげで、女性の身元はすぐに割れた。これは助かった。被害者は、鬼殺県に生まれ、鬼殺県で育った、四千九百八十九歳の女性で、四千九百八十九年間、一度も県外で生活をした履歴がなく、現在四千九百五十年前に病死した両親の持ち家に住んでいたそうだ。いやに鬼殺県に土着した恐ろしく長生きの女性だが、それにしては、容貌若く、シミやシワやたるみなどは見られぬ。一見、二十代後半くらいに思える小綺麗な姿である。わけが分からん。ヴァンパイアだろうか。この容姿だとまだ現役で通用しそうであるが、やはり閉経の方はしっかりしているのだろうか。面白そうだから、後日警察の職権を濫用して個人的に調べてみるとする。女性は暴力市内の会社で事務をしており、業務には至って真面目に取り組み、上司からは信頼されていたようである。同僚との交際に於いては、そのバケモノじみた年齢も隠し立てせず、むしろ冗談の種などに使っていたようで、社内の半分には「妖怪女」と大人気、もう半分には「妖怪女」と甚だしく不気味に思われていたようだ。しかし、私生活は一切の謎で、分かっていることといえば、未婚であり、子供もいないということだけだ。やっぱし、閉経してるのかな。解剖医にチェックしてもらおう。親戚は元々おらず、祖父母はとっくの昔に父方母方共亡くなっている。両親が死んで関係のある血縁者は途絶えてしまったようで、以来、孤独に生きていたようだ。噂によると、四千九百八十九年の裡に名前が三回変わっているらしいが、いかんせん昔のことだから、履歴が残っている筈もなく、前の名は分からない。現在の名は痛本左代子と言い、およそ百年前から使っているらしい。やけに引っかかる。今回の事件に合いすぎている。痛本はそのまま殺害の際の打撃による痛みを表している風に思えるし、左代子となると、これは紛失した左手首のこととしか思えぬ。それに四千九百八十九年という、阿呆みたいな年齢も、四九八九、四苦八苦と、妙な符牒のような気がしてくる。これは案外、根が深い事件なのかもしれぬ。気を引き締め直さねばならん。女性の直接的な死因は、おそらくクラゲ毒だと思われる。なにかしらの方法でクラゲ毒に充てられて、妖怪女といえど、相応の症状が出たのだ、きっと。状態にはなにも表れていない、が、多分、そうだ。分かるのだ。言ってみれば、刑事の勘というか、そんな感じ。最前、バラバラの遺体を眼前にしたとき、おれは中華料理を食べた後だった。野菜炒めにキクラゲが入っていたような気もする。だからクラゲ毒。どうかね、この推理。刑事なめちゃいかんぜよ。クラゲは海で生活しているものだから、おれはバラバラ遺体の一番大きな胴体の部分を拾って、鼻を効かせてみたが、なんか、倒錯的な興奮があって、嗅覚がほとんど機能してなかったから、海の匂いは分からなかった。足首とかにしとけば、嗅覚がおかしくならんで済んだかもしれぬ。後で試してみること。
最初に「バラバラの、遺体? のようなものを見つけたんですけど。」という電話を受けたのは、なにを隠そうこのおれなのだ。えっへん。おれは遂に大事件に直面したやもしれん、もしかしたら手柄を立てられるかも? という、高揚する気持を必死で抑えながらだったから、「本当かね。ウソだったら困るよ。今、中華食べてる途中だから、あんまり変なことは言わないでもらいたい。」と、やけに横柄且つ私的な返事をしてしまったのだが、彼は気に留めない様子で「本当です。暴力市髑髏ヶ丘の河川敷です。等活橋がある近くの草むらです。」と手早く情報を伝えてくれたので、おれはすっかり信頼して、「分かりました。ありがとう。すぐに向かうから、あなたもそこで待っていてください。気味がわるいだろうけど、辛抱してね。一応、名前だけ伺っていいかな?」と訊ねたのだ。すると彼は、「はい、分かりました。死体は慣れっこなんで平気です。」という、曰くありげなこと言ってから「バラ山・ハンマー・狂太郎です。」と名乗ったのだ。あの時はバラバラ殺人事件を前にして気が急いていたし、なにやら、お祭りのような感じもして楽しかったので、なんとも思わなかったのだが、いま考えると非常に怪しい。これまた名前が事件に見合いすぎている。見合いすぎて、ミドルネームが入っている始末だ。バラとはバラバラを指していて、ハンマーとは切断に使った道具のことだろう。狂太郎は、気違いを表している名前だと思われるし、そもそも早朝に等活橋の近くの草むらでなにをしていたんだ。遺棄ではないか。遺棄を終えてすぐに通報してきたのではあるまいか。太々しい。なんて肝の据わった男だ。こういう肝の据わり方は気違い特有のものである。死体に慣れっこというのも、死体一般のことではなく、つまり医師やら葬儀屋などではあらず、殺害・切断を行ったからこの女性の死体にはもう慣れているという意味かもしれぬ。いや、これは、少し邪推が過ぎている。バイアスがかかったこじつけ推理はよろしくない。刑事の掟である。

手柄を渡すのは口惜しいので、食ってた中華を途中で止して、上司や同僚には告げず署から抜け出し、等活橋まで車をすっ飛ばした。時速二百キロだったそうだったので、一回パトロール中の同僚に止められた。この件は、後に始末書を書くこととなるだろう。等活橋に着き車から降りて、例の草むらを探して左見右見していると、橋の下から「刑事さーん。」と電話で聞いた声。手摺に凭れて見下ろすと丸坊主の若い男が手を振っていた。人死にが出ているのに不謹慎なやつだと思いながら、土手を下っていたら、足がもつれて平衡を失い、土手から転がり落ちてしまった。恥ずかしい。「刑事さん、転がるの早いなあ。」と駆け寄ってきた若者は言い、「どうも、先ほど通報させて頂いた、バラ山・ハンマー・狂太郎です。」と気持のわるい名前を当然のように名乗った。この男、虎刈りの坊主で、目の焦点が合っていない。なにより左手が二つあったのが気になった。腕は一本なのだが。手首から二つの手が生えている。不気味だ。「ああ、通報をどうも。死体、どれ?」「あれです。」「暗くてよく見えないや。」「そろそろ陽が出ますよ。」「じゃあ、それまで、一服しようや。」「僕、タバコきらいなんです。」「そうか、おれ、あっちで吸ってくるから、君、ここで待ってて。」「分かりました。その間、死体触っててもいいですか。」「だめだよ、バカ。」土手に上がってタバコを吸っていたら、凄まじいスピードで陽が昇った。長らく日の出など見てなかったから、早く思っただけかもしれぬ。急いでハンマー君の元へ戻って、愕然。えぐすぎる。死体の状態は先述した通り、知らずに見たら驚くよ。「えぐいね。」「そうですか? そこまでじゃないと思うけど。」「えぐいよ、これ。中華もどしそうだよ。」「さすがに、中華もどすほどじゃないでしょう。」「人それぞれだろ。」と、ハンマー君とは初対面なのだが、うまいこと会話が進んだ。「僕、刑事さんがタバコ吸ってる間、ずっと見てたんですけど、左手首だけないですね。」「それ以外は全部あるの?」「ありますね。」「バラバラにした意味ないじゃないか。なんだ、気味のわるい。」「ありゃ、本当ですね。」「ところで、君の左手、なに?」「ああ、僕、奇形なんです。ほら。」と、両方の左手を握って、開いた。おえ。そこでおれは、署の連中に連絡を入れ、応援を願った。連中が来るまでに土手でもう一本タバコを吸った。ハンマー君バラバラの遺体の横で、暇そうに石を蹴っていた。
同僚や鑑識が来て、上司が指揮をとった。おれはハンマー君と行動したかったので、上司にバレぬようにその場を離れ、二人で草むらの奥で手首を探すことにした。

「見つからないですねえ。どこにあるんだろ。面倒なことしたなあ、まったく。左手首なんて、すぐ見つかりそうなもんだけどなあ。どうです、刑事さん。前にもこんなことあったりしましたか。」
「うるさい。今はまだ導入部なのだ。後で紹介するから、なるべく大人しくしていろ。しかし、おれもこんなのは初めてだよ。」

ここで時系列が冒頭に戻るのだが、今のおれは冒頭のおれではない。つまり、これまでおれが抱いた事件への不審やハンマー君への疑念は、今、一気に去来したのだ。ハンマー君が恐ろしくて堪らない。こんな殺人鬼とよくも二人きりになれたものだ。無知は危険だ。そもそも、なんだ、奇形って。そんな、ウソ、この野郎。こいつ、絶対、切断した左手首と、自分の神経繋げたろ。頭おかしい。怖すぎる。「僕、怖いですか?」怖いよ。なんだよ。セリフ以外に返事するなよ。どういう理屈だよ。テレパスなのか? 手に負えない。「ははは。カマトトぶっちゃって。」笑うな。なんだこいつ。カマトトってなんだ。気違いの相手は御免だよ。「誰が気違いなんですか。あー、殺そっかなあ、どうしよっかなあ。」脅し方怖すぎるだろ。そもそもなんだよ、鬼殺県暴力市髑髏ヶ丘にある三途川とか、等活橋とか、痛本左代子とか、四千八百四十九歳とか、バラ山・ハンマー・狂太郎とか、不吉すぎるだろ。もしかして、この事件は、起こるべくして起こっているのか。この事件のために、街が作られているのか。実際に、こんな街はないのか。おい。気が狂いそうだ。「あ、そういえば、痛本左代子の死因はクラゲ毒じゃないよ。というか、そもそも死んでないんだよ。生きてもないし。いない人だから。死因なんか、ないんだよ。」よく分かんねえよ、もう。そんなの。やめてくれ。おかしくなる。「僕もいないし、刑事さんもいない。だから、痛本左代子を調べるのも嗅ぐのもしなくていいし、始末書なんて書かなくてもいい。刑事さんの同僚も鑑識もいない。いるのは、ハエ・蚊・蜂・バッタ・トンボ・カマキリだけ。あの頃はまだ、普遍的な街だったからね。一、三、五、七段落は、現実なんだけどね。最初なんて、ほら、僕たちのセリフがなければ、ちょっとしたエッセイだもの。」段落とかセリフとかエッセイとか、わけの分からんこと言うな。知るか。おれは生きてるぞ。体もあるし、これまでの人生もあったんだ。創作県小説市で生まれた、主人公原刑事郎だ。れっきとした人生があるのだ。適当なウソつくな。おれは生きてるぞ。「どうだろねえ。」だから生きてるんだってば。頼むよ。