1782文字

Tは彼の友人が運転する車の後部座席に凭れ、通り過ぎる街の風景を見つめている。赤信号で停車すると、歩道の往来を眺めながら、パッとしないやつばっかりだと思う。口には出さず、人々の顔を仔細に観察しては、パッとしねえ、パッとしねえと繰り返し思う。男も女もだ。昼下がりに沈黙する家が立ち並ぶ住宅街に入り、退屈した彼はプレーヤーを操作して音楽をかけはじめる。三階建てや二階建てや駐車場やマンションやアパートのバラバラの屋根によって見え隠れする太陽がその度眩しくなるように感じ、彼は窓から目を逸らし、黙って運転している友人に、適当な歩行者を轢いて逃げるように命じたり、ハンドルやクラクションに触れたり、音楽に合わせて歌ったりして暇をつぶす。そうしたイタズラの延長で前を走る青い軽自動車を尾けるように言うと、友人は気の抜けた声で同調し、青い軽自動車と一定の間隔を保ちながらしばらく味気ない大通りを直進し続け、そのまま国道沿いの中華料理屋に入った。青い軽自動車から出てきたのは女で、小さい子供も二人いた。Tと友人は、彼女たちの向かいの席について、店員が運んできた水を飲みながら、二、三言葉を交わした。向かいの親子とは全く関係のないことだった。ライターのオイルが切れそうだとか、空調のせいでコンタクトレンズが乾くだとか、そういう言わなくてもいいようなことだった。Tはこの後、碌にメニューも見ずに野菜炒めを注文し、食べ終わってから回鍋肉にすればよかったと後悔することになる。一方、友人は何も食べずに、Tが野菜炒めを食べている間、オレンジジュースを飲んでいたので特に後悔することもなかった。窓の外の空が淀みはじめたので、雨が降るかもねとTが言うと、友人は天気予報を確認し、曇るだけさと返した。向かいの席の親子は、三人揃って炒飯を食べていた。店内のテレビでは中部地方の魚市場の特集をしており、インタビューされている男の後ろでかごの中に寝そべる魚たちの鱗が鈍く光っていた。国道には白い車ばかりが通っていたが、誰もそれに言及しなかった。会計を済ませ店を出た彼らは、自分たちの車の窓ガラスが破られているのを見つけ慌てて駆け寄ったが、荷物は盗まれていなかった。窓ガラスも割れていなかった。電柱の上にいたカラスが糞をしたが、誰にも当たらずに地面に落ちた。カラスは一回鳴いて、ラブホテルの看板に移動した。朝方になったらカラスは馴染みのゴミ収集場に向かって、残飯を漁るつもりなのだ。度重なるカラスの狼藉に耐え切れなくなった大家は、そのアパートの住人に夜間のゴミ出しを控えるように訴えているのだが、彼らには彼らの生活のリズムがあるので、必ずしも守られるわけではない。大家は収集場にネットを掛けて、カラス対策を試みるも、そのネットはやんちゃな青年によって燃やされた。当然ゴミにも引火したのだが、ちょうどコンビニに行こうとしていた住人が発見し、アパートの入り口に設置してある消火器で消火したため、大事にならずに済んだ。その住人はそのままコンビニでボールペンとノートを買い、そのことを数ページにわたって記した。それを期に日記を書くことを決心したが、一週間後には大して書くことがないのに気づき、廃止された。数ヶ月に一度、なんとなくノートを開いては、その日あったことを書こうと思うのだが、自分がした何気ない行動やぼんやり感じたことをいちいち書き連ねるのは、どうも無駄な行為だと感じてやめてしまうのだった。彼の隣人は背の高い老人で、毎朝早くに目覚めてお茶を淹れる。朝ご飯を済ますと漫然とテレビを眺めて若いタレントの名前が中々覚えられないことを自覚する。昼ご飯は散歩のついでに立ち寄る喫茶店で食べるのだが、そこの店主には中学生の子供があり、彼が学校でどのように振る舞っているのかを知りたいと思っている。彼は彼で、給食のパンが湿っぽいとか感じながら、映画が好きな友達と話したりしている。友達が好きな映画監督はクリント・イーストウッドといって、現在87歳でありながら、コンスタントに作品を作り続け、来月の頭から「15時17分、パリ行き」という題名の映画が公開されるらしい。フランスの電車内でイスラムの過激派の男が発砲した事件の話で、上映時間は94分と観やすい長さだ。フランスといえばパリだが、パリとは一体なんだろう? 都市?